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中国南昌?ん??どこだあ???中年語学留学生奮戦記(日本帰国後記)57歳日本人男、日本に家族を残し中国語研修の為に江西省南昌市の江西師範大学に語学留学しましたが現在は帰国。我是在江西省南昌市江西师范大学学中文的日本中年留学生。 I'm a Japanese old student study in China Jiangxi Nanchang-city. I study Chinese in Jiangxi-teacher's-college a half year. 如果您看时有的字没有表示的话请按一下左边的"中文表示key" July 04 これで一区切り私の好きな日本映画に
「喜びも悲しみも幾歳月」があります。
いまはもうこの職業もなくなったそうですが
灯台守の若い夫婦が日本全国北から南へ
各地の灯台で働き家族を育て
最後は結婚して夫と海外に赴任する娘を
灯台から霧笛で見送る映画です。
この映画は子供の頃に映画館で見ました。
初めて見た大人向きの映画でした。
もちろんその時には「ふ~ん」としか
判らなかったのですが
「おいら岬の~灯台も~り~♪」
で有名な主題歌とともに頭に残りました。
戦争中の苦難を夫婦で乗り越えて
夫婦のあり方、人生映画として名画ですね。
先日もテレビの名画劇場で上映され
久しぶりに見ました。
さて私のこのブログも今回の
「娘の結婚」で一区切りつけたいと思います。
南昌老胡のブログ名ももうふさわしくなくなりました。
ブログ内容も表題と違ってきています。
もちろん今も中国語の勉強は続け
またskypeを通じて中国人と話をしていますし
秋には台湾にも行って見たいと思っています。
ただ日常の生活をここに書くのは場違いですので
国内外の旅行日記や生活日記は
別の場所に書きたいと思います。
2006年9月から書き始めて10ヶ月、
今は28000ページビューで毎日訪問頂いています。
アップしていない面白写真はまだいっぱいあるのですが・・・・
皆さん、どうもご愛読ありがとうございました、
掲示板などはそのまま継続しておきますので
なにかあればどうぞ書き込みをお願いします。
またどこかでお会いしましょう、
再見!!
33年目のダイヤモンド披露宴の前々日の事です。
披露宴に参加の為に北海道から
来てくれた弟夫婦達と会食中
家内が突然「あ~あ、こんなダイヤモンドが欲しいなあ~」
と呟きました。
見ると布バッグの飾りに付いている
きらきら光るガラスの飾りが
スワロフスキーのようで
レストランの照明でキラキラ輝いています。
この話は隣の義妹との会話の中です。
「小さいのはいらない、もうそれなりの歳だから見栄えのする
大きい石が絶対いい!」
もちろん冗談半分で言っているのですが
でも半分は本音が入っているのでしょう。
家内は今までダイヤが欲しいと言ったことは一度もありませんでした。
ダイヤの婚約指輪も買っていません。
「ダイヤにはまったく興味ないわ」
と言い続けてきましたが
ここに来てちょっと気が変わったのでしょうかね。
その時は笑ってごまかしましたが
「ふ~ん、そうか・・・・」
明後日は披露宴
娘の披露宴にはめなければ意味がありません。
翌日、仕事中の家内にメールで聞きました。
「指輪のサイズ、いくつ?」
「11だけどなぜ?」
「300万円くらいので良いかい?」
返事は戻って来ませんでした。
「この忙しいのになに馬鹿なことを聞いて来るのよ」
ぐらいにしか思っていなかったと思います。
でも私は本気
所要で東京に行った帰りに宝飾店を回りました。
2,3軒見て回り最後にティファニーに決めました。
あまり有名でない店で安い物買って
ダイヤと信じてくれなかったら悔しいですものね。
「立て爪の見栄えのする物」
と言うことでいくつかショーケースから出してもらい
最後は金庫の中にしまってあった物に決めました。
結婚33年目のダイヤのリング。
子供たちを立派に育てた家内への
感謝の気持ちを込めたお礼のダイヤモンドリングです。
と言ってもそんなにすごいものではありません。
無職の私でも買える分相応な物。
でも気持ちは籠もっています。
もちろん、家内はびっくりし
大喜びで翌日の披露宴に着けていきました。
2週間後に自宅に送られてきた鑑定書
これだけで数万円かかりそう。
June 20 娘の結婚式 その2「二度目の結婚式」と言うわけではありません。
5月に挙式して入籍も当日に終わりましたが
披露宴は一ヵ月後、先週の土曜日でした。
(まるで芸能人の結婚式みたいですが)
実は式場の予約は1年も前だったので
その日が五月連休の振り替え出勤日になってしまい
花嫁の会社関係者を呼べないということで
披露宴は6月16日に別に行う事になりました。
6月の式はJUNEブライドで欧米ではいいですが
日本では梅雨時、天気がものすごく心配でした。
案の定、週間天気予報では曇り、または雨で
前前日には入梅宣言まで出る始末
心配して電話をかけてきた娘に
「絶対天気に成ると思いなさい」とハッパをかけ
そうしたら天気予報が雨→曇→曇時々晴れ
とどんどん変わって行き
当日は朝から雲ひとつない快晴
びっくりです、でも本当にラッキー。
披露宴会場は葉山の海岸沿いのレストラン
料理の鉄人石鍋シェフの店で
料理がおいしいと評判なところですが
景色も売りなので雨だったら価値が半減
また参加者も服が濡れて大変です。
でも当日はあまりに天気が良過ぎて
オープニングがテラスだったので
ジリジリ日に照らされて逆に日焼けを心配
「ああ、もっと雲が出ないかな」と
贅沢な要求が出てしまいました。
目の前が相模湾で 写真には写っていませんが
遠く江ノ島、伊豆半島、富士山が見えます。
参加者全員100人で風船を放しました。
時節柄、この風船は環境に影響を与えない
自然分解する風船だということです。
宴会の最後にアトラクションで
新郎新婦から両親に対して
自分達が生まれた時の重さのプーさん人形をくれました。
娘は3200gで生まれたのですごく重い。
人形もパンパンです。
赤ん坊の時にこんなに重かったかな?
今は家族の一員になっています。
「涙にくれた花嫁の父」場面はありません。
はじめから最後まで和やかな宴でした。
でも父親としてはこれでホッとしましたよ。 May 30 ディスカバージャパン、宇部の炭鉱遺構今から40年以上前に山口県の宇部に大きな炭鉱がありました。
宇部炭鉱の特徴は海底炭田
市内の地下全域は穴だらけらしいですが陸上を掘りつくした後
そこから瀬戸内海に向かって海底深く炭鉱が掘り進められました。
宇部は元炭鉱町なのにボタ山がまったく無いのが特徴
全部海岸埋め立てに使われそこは今は工業地帯です。
私は子供の頃の記憶にTVコマーシャルで宇部石炭のCMを
見た記憶があります。
それから美祢市の無煙炭
こちらは山口県の中央部にあり宇部ではないですが
日本で最も古い中生代の地層中に
日本で唯一の無煙炭が算出し、明治時代からの古い炭鉱
高カロリーで煙が出ないこの石炭は
かっては軍艦用に最適で大日本帝国海軍ご用達石炭でした。
1970年、今から37年前に閉山
今回、宇部に所要がありついでに炭鉱跡を探し回りました。
がしかし、閉山後40年以上経っていて
一日位ではほとんど見つけられませんでした。
十年前はまだ坑口遺構や炭住があったのですが
もうほとんど無いようです。
宇部常盤公園にある立坑やぐら
東見初炭鉱から移設した遺構で今はエレベータ付きの展望台、高さ37m
空港近くなので赤白に塗られているが昔は灰色だったに違いない
下は石炭記念館になっています。
長生炭鉱のピーヤー(海底炭田の空気取り入れ抗)
のどかな瀬戸内海の海岸にありますが
ここは悲しい出来事があったところ
昭和17年に出水事故が起き
強制拉致された朝鮮人を含む 183人の犠牲者が今も海底深く眠っています。このコンクリート構造物は60年以上も崩れずに
今も海中に立っています。
宇部石炭記念館
炭鉱のモデルや機械など宇部炭田の歴史が展示されている
水平坑用坑内機関車と人車(鉱夫が乗って採炭現場まで行く車)
炭車(石炭を運び出す車、実際の石炭はもっと大きな塊)
大嶺炭鉱の露頭採掘現場跡を利用して作られた草井川ゴルフ場
もともと炭鉱夫のレジャー施設として作られたらしい。
非常に安価だったらしいが炭住が無くなった今はまったくの山の中
2003年まで存在したのが奇跡かも
石炭露頭
新開の道路切り通しに出ている石炭層です。(美祢市大嶺)
宇部新川駅前
十年前とほとんど変わっていない。
宇部市の中心は山陽本線の宇部駅ではなく
宇部線の宇部新川駅
これはもともと石炭搬出用路線
正面の煙突は宇部興産
昔の炭鉱跡にできた工場だ。
宇部には面白い歴史があります。
宇部では江戸時代初期頃から石炭が使われていた。
毛利藩の時代には石炭千専売局があり藩の管理であった。
瀬戸内海各地の塩田でここの石炭が使われた。
石炭採掘権を明治政府に取られ県外者に売られてしまいました。
そこで昔の領主、福原氏が私財を投げ打って買い戻し
地元に寄付した経緯があります。
地元は宇部共同義会を結成し炭鉱の一元管理を実施した。
また宇部はもともと村であったが石炭景気で
人口が爆発的に増え大正十年に
村から一気に市に昇格したのも珍しい事。
今は炭鉱時代から引き続いて宇部興産の城下町
日本の他の炭鉱町は北海道の夕張市は
観光事業で大失敗し破産した。
常磐炭鉱はハワイアンセンター、
九州の大牟田は遊園地で振興策を立てた。
北九州各市はこれと行った成功例がない様に思う。
その点、宇部は宇部共同義会の流れをくんだ
宇部興産が石炭や化学工業を興し
苦しいながらもなんとか体制を保っている。
日本の炭鉱は全滅したが
中国ではまだまだ石炭は重要な資源で
各地に大小さまざまな炭鉱がある。
但し毎年数千人の犠牲者が出ているのは
痛ましい。
石油が枯渇したらエネルギーや化学原料として
石炭はまだまだ頼りになるが
日本にはもう炭鉱はない。
未来はどうなるのかな??
May 26 ディスカバージャパン、ブルートレイン所要があり、山口県/広島県へ旅行しました。
業務出張のときは飛行機か新幹線でしたが
今は急ぐ必要がまったくありません。
で行きはブルートレイン
東京発で東海道本線、山陽本線を通って
九州行き夜行寝台特急は
かっては東京駅15番線から何本も出て
花形列車でしたがいまや絶滅寸前
富士/はやぶさの一本だけです。
この日も乗車率は40%くらい
寝台の上段はほとんど空いていました。
向かいの寝台は新下関まで行かれるご婦人
2,3ヶ月に一回利用しているとか
ジパング利用なので切符は3割引だそうでうらやましい。
私がブルートレインに乗ったのは何年振りでしょうか?
十数年前、九州に住んでいた時には
子供が小さかったので新大阪まで新幹線で行き
そこで夜行寝台特急によく乗りました。
今は車両も古く、食堂車も無く、特別な企画も無く
線路保線状態も良いとは言えないのでよく揺れます。
料金だって夜行バスの3倍、新幹線、飛行j機と同じ
所要時間は12時間以上かかります。
でも列車の旅は楽しい。
JRは「寝台列車の旅」を手段ではなく目的として再考すべきですな。
「北海道行きカシオペア」は新型車両で人気があるのですから
企画次第で九州特急も必ず復活できるはず。
目が覚めたら目の前が瀬戸内海
上り列車なら明け方の富士山が見えるはず。
こんな良い条件なのにもったいない。
定刻に新山口駅に到着
私が知っている時代は小郡だったのにいつの間にか改名されていた。
広い駅、ここで降りたのは私一人!!
さて中国では旅行の時に夜行寝台特急をよく利用しました。
日本と中国の列車の違いを書きます。
列車は中国の方が広軌で大型ですが
寝た感じは変わりません。
列車の高さは中国の方が高く長さもずっと長いです。
日本は12両くらいかな、中国は25両のも
寝台の幅は日本の方が広い感じがします。
日本は2段、中国は3段
定員は日本では一両に34人、中国は75人くらいかな
大きな違いは日本の寝台にはカーテンがあり
また寝巻きが付いていることです。
このサービスはGood。
中国の硬臥(=日本のB寝台)にもカーテンは欲しいな。
中国では各車両に乗務員が居て
切符確認や掃除を行いますが
日本では一列車に乗務員は数人でしょうか?
まったく違います。
日本では食堂車も車内販売もありません。
このあたりを改善すれば少しは乗車率が上がる事でしょう。
食堂車が無いので東京駅で駅弁を買いました。
今回選んだのはこれ
「夕刊フジ」の企画弁当。
究極のサラリーマン弁当らしく
おかずがおつまみ形式になっています。
二段になっていてなかなか面白い弁当でした。
弁当は圧倒的に日本の勝ち!!
というか中国には「弁当文化」は無いに等しいな。
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